デュッセルドルフとロサンゼルスを拠点に活動するアーティスト、リタ・マクブライド(Rita McBride)は、「公共」という概念を何十年にもわたり探究してきた。彼女の作品はしばしば壮大なスケールで展開される。例えば、カーボンファイバーで作られた双曲面の『Mae West』(2011年)は、ミュンヘンのエフナープラッツにそびえ立ち、高さは約52メートルにも達する。また、彼女の最も有名な作品である『Arena』(1997年)は、耐熱性の合成繊維ケブラーを用いて作られた、高さ約20メートルのモジュール式観覧席であり、世界中を巡回し、新しい観客がその空間と対話するたびに命を吹き込まれる作品である。一方、『Bells and Whistles』(2009–2014年)では、公共空間の隠れた側面を探求し、ニューヨークのニュースクール大学の6階分にわたる避難階段の加圧ダクトを可視化している。このダクトは建物を蛇行しながら通り抜けており、サイトを生かしたSkidmore, Owings & Merrillとのコラボレーションによる全長約162メートルの作品となっている。63歳の彼女は、SF、集合的な文学形式、幾何学、タイムトラベルなどのテーマにも影響を受けた作品を展開している。例えば、2016年の作品『Particulates』は、「重力という彫刻の中核的な要素を排除し、無限に移動可能な空間の可能性を提示する」高強度レーザーによるハイパーボロイドである。さらに、彼女は火星への公共なエレベーターという概念を探求しており、赤道付近で適切な場所を調査している。現在、ニューヨーク州北部のDia Beaconで開催されている展覧会『Arena Momentum』では、『Arena』の最新バージョンが堂々と展示されており、観覧席の構造を自宅で再現するためのポスターも無料で配布されている。また、ミニマルな商業用テントの解釈である2002年の『Awning (Blue Stand, City Block Blue)』や、カスタマイズされた空調ダクトユニットを整然と配置した『Neighbors』(2002/2023)など、初期作品も併設されている。『Arena』は、見ることと見られることの緊張関係、そして公共のアリーナやスタジアムに潜む不気味な側面を浮き彫りにしており、マクブライドの作品における一貫したテーマとなっている。
Photography by Mollie McKinley. © Rita McBride. Courtesy Dia Art Foundation.

2023年10月、Dia Beaconで開催された『Arena Momentum』のイベント中に撮影されたリタ・マクブライド。アーティストが手にしているのは、展示のために制作された説明用ポスター(2025年1月まで展示予定)。来場者はこの説明書を使って、自宅で観覧席の構造を再現することを推奨されている。Photography by Mollie McKinley. © Rita McBride. Courtesy Dia Art Foundation.
ハンス・ウルリッヒ・オブリスト:どのようにしてアートの世界に入ったのか、またアートがどのようにあなたにやってきたのか、さらに建築、アート、デザインの橋を架けるようになった経緯について教えてください。あなたの作品を1980年代後半から知っていますが、その始まりについて気になるのです。
リタ・マクブライド:それはかなり昔の話になりますね。私はアイオワ州デモインで育ちました。近くには素晴らしい美術館、Des Moines Art Centerがありました。この美術館はエリエル・サーリネンが設計した美しい建物で、1960年代にはI・M・ペイが増築し、1980年代にはリチャード・マイヤーがさらに拡張を行いました。そこで私はアートへの愛を育み、建築とコレクション内のアート作品が持つ相互関係について気づくようになりました。また、母はアートの教師で、アートを鑑賞したり、アートに囲まれて過ごす喜びにとても情熱を持っていました。私は18歳のときに初めて公共アートのコンペティションに応募しました。デモインのダウンタウンにある植物園のためのコンペでしたが、ジオデシック・ドーム型の植物園だったので、地面から飛び出すような巨大なガラスのプリズムを提案しました。それが実現可能かどうか全く分かりませんでしたが、当時はすべてが可能だと思っていました。結局そのコンペでは選ばれませんでしたが、どれくらいの高さだったか覚えていないほど大きなものでした。常に大きいことを考えていました。
私は、あなたの先生の一人でもあったジョン・バルデッサリと仲が良かったです。あなたがカリフォルニア芸術大学で学んでいたのは特別な時期でしたね。以前のインタビューで、バルデッサリは自由を与えてくれる存在であり、素材の選択肢や不条理な可能性を提供してくれたと述べていました。また、「楽しめないならやるな」という教えも印象的だったそうです。その一方で、マイケル・アッシャーによる批評の影響も受けていたと思います。当時のカルアーツでの学生時代について、どのような記憶がありますか?その経験は多分野にまたがるアプローチにつながりましたか?
私は決して優れた学生ではありませんでしたが、マイケルとジョンの両方ととても親しく、彼らのアシスタントとしても働いていました。マイケル・アッシャーの講義は休憩なしで24時間続くこともあり、一つのテーマについて12時間以上集中することが求められました。若い頃にはそれが非常に難しいと感じましたが、後になってその規律がとても役立ったと実感しています。一方で、ジョン・バルデサリは授業の後ろでよく居眠りをしており、基本的には私たちが自分たちで解決しなければなりませんでした。でも、それがまた良かったのです。彼のユーモアが授業を特別なものにしてくれました。卒業後、1980年代後半にマドリードのソフィア王妃芸術センターで開催されたジョンの展覧会に参加しましたが、実際には、彼から学校を卒業した後の方が多くのことを学びました。ただ、カリフォルニア芸術大学では素晴らしい同級生に恵まれました。ある意味では、教師以上に彼らが重要だった気がします。
あなたの作品で特に魅力的なのは、文学との結びつきだと考えています。ジャンル小説のシリーズでは、それぞれの章を異なる人々に委託しており、インタビューではしばしばSFがインスピレーション源であると述べています。文学やSFとの関係について、もう少し教えていただけますか?
SFというジャンルは未来を想像するための手段であり、歴史的な出来事を基盤として新たな物語を生み出すことができます。一方で、美術史的な文章に少し失望を感じた時期がありました。それは、カテゴリー的な思考が時代遅れに感じられたからです。そこで、文学を通じて芸術的なアイデアを表現する他の方法を模索しました。2001年にKunstmuseum Liechtensteinで展覧会を行った際、カタログ制作が提案されましたが、私は集団的で匿名の執筆構造を提案しました。その結果、1970年代の本『Naked Came the Stranger』に基づいた官能小説が生まれたのです。執筆者にはアーティストだけでなく、作家やキュレーター、政治家も含まれていました。執筆者の名前は記載されていますが、誰がどの章を書いたかは匿名のままとなっています。章の一部に官能的な要素が含まれ、また私の作品について言及することが必須であることを執筆者に伝えましたが、どのように扱うかは各章の執筆者に任せました。匿名という名のもとで、人々が自由に書くことに驚くべきことがありました。それがとても楽しく、異なるジャンルで続けていくことに決めました。
Rita McBride: Arena Momentum, installation view, Dia Beacon, Beacon, New York. © Rita McBride. Photo: Don Stahl. Courtesy Dia Art Foundation.
あなたは『Futureways』という本を編集しましたが、それはある意味でタイムトラベルに関するものです。他のインタビューでも、タイムトラベルは今やほとんどキッチュなものになっているとおっしゃっており、また、あなたは元々の機能を失いつつあるものに興味があるとも言っていました。その点が、Dia Beaconでの展示『Arena Momentum』にも表れていると感じています。というのも、彫刻には都市空間から馴染みのある要素が含まれていますが、それらはもう都市における機能を持っていないからです。
私が作品を制作するアプローチの中心的な要素なので、そのつながりを感じていただけて嬉しいです。デザインの世界で何かが変化して元の機能を失っていることに気づくことから始まります。そうしたら、それが別の機能を持つものとして考え、そこから美的な再定位が始まるのです。例えば、かつて私たちが世界をデザインするために使っていた図面のテンプレートが、単なる純粋な幾何学に変わってしまうことがあります。ツールがオブジェクトに変わる時です。ただ、それがタイムトラベルとどれだけ関係があるかは分かりませんが、タイムトラベルは物事を想像し、別の方法で表現することに関するものだと思います。
参加型のアプローチはあなたの実践の大きな部分を占めています。1997年12月の雪の日に、ロッテルダムのKunstinstituut Melly(旧Witte de With Center for Contemporary Art)で展示されたあなたの中心的な作品『Arena』を見ました。『Arena』は博物館の二階のすべての部屋をつなぐ観覧席のようなものです。その場にいるだけで作品の一部となり、アクターと観客の間で揺れ動く感覚を味わうことができたため、当時、若いキュレーターとしてその作品を見ることができてとても良い経験でした。そして、現在展示中のDia Beaconでも同じように体験することができますね。この作品を思いついたきっかけは覚えていますか?
覚えていますよ。当時、その美術館は政治的な問題や自己関与について騒がしく、仕事を進める上で非常に苦労していました。そんなときに、「Witte de Withで今行われていることに対抗することはできない」と思い、それがひらめきの瞬間でした。それならば、それを形式化しようと考えたのです。これは、私の制度的批判のアプローチと、バルデッサリ流の楽しさを組み合わせた完璧な例だと思っています。私はモダニズムやアーバニズムに以前から興味があり、トウで駐車場や車を作ったこともあります。モダニズムの語彙の中には、スタジアムやアリーナ、民主的な構造体のような大きな構造物がよく登場します。それらの潮の満ち引きに魅了されました。人々で満ちているとき、それらはまったく異なるものになります。完全に空っぽになったとき、もはや不気味に感じます。本当にシンプルなことでしたが、それをポータブルにしたいと思いました。すでに、大きなものを作るには開口部を通れるように小さなパーツに分けなければならないことを学んでいましたので、それに加えて、軽くしたかったのです。そのため、強度を持たせるために防弾素材であるケブラーを使用して制作し、26年間世界中を旅してもなお丈夫に機能しています。その後、私は『Arena』を所有するのではなく、その管理者として常にプログラムを行うつもりだと強く主張しました。アリーナを利用する人々の間で会話を生み出し、施設にプログラムを依頼することを望んでいましたが、それを『Blind Dates』という別のタイトルのもとで行いました。この26年間で18の異なる施設で開催されています。
コンテクストの問題でもあるかもしれませんね。Kunstinstituut Mellyのような場所と、Dia Beaconのような広いスペースで他の作品に囲まれた場所では、状況が全く異なります。場所やコンテクストによって物事がどう変わるかを見るのは興味深いことです。この作品は進化していますか?
モジュール式に作ったので、スペースに対して戦ったり、不思議なほど調和したりできるようになっています。『Arena』のサイズは、Kunstinstituut Mellyでのインスタレーションの元々のサイズ、13フィート×13フィートのモジュールですが、3つのモジュールでアリーナが構成されます。デュッセルドルフでの第三者によるプログラムでは、実は予期せぬことが起きたのです。(振付家・アーティストの)アレクサンドラ・ワイエシュタール(Alexandra Waierstall)がダンサーを招待したのですが、ダンサーがアリーナの上で踊り、他の人々はその外で見ていました。私はこれを自分でやったことがなかったのですが、あまりにも不思議で素晴らしかったです。ワイエシュタールは私に、身体が加わることで民主的構造がどれほどダイナミックになるかを見せてくれました。それがなければ、ただの空気の塊に過ぎません。Dia Beaconでは、私、ワイエシュタール、そして(パフォーマンスコレクティブの)Discoteca Flaming Starによって、『Momentum』というプログラムを開始しました。また、『Arena』がDia Art Foundationのコレクションに加わった際、私たちはコピーレフトのライセンスを作成しました。これにより、自分自身の『Arena』を作成する自由が与えられるのです。コピーレフトを取得すれば、元々のカット用ファイルとデビッド・ラインファート(David Reinfurt)がデザインした体型サイズのポスター『Momentum Manifesto』も手に入れることができます。しかし、これはオープンソースではなく、解釈の余地がたくさんあります。2025年の終わりまでには、オンラインプラットフォームを立ち上げ、『Arena』を作るための基本的な要素や概念的なパラメータを提供できることを期待しています。もちろん、民主的な構造がその核となっています。
2017年にDia Chelseaで『Particulates』という大きな展覧会を開催し、現在『Arena』はDia Beaconに展示されています。少し『Particulates』について話していただけますか?また、Diaとの関係についても教えてください。
『Particulates』はDiaに来る前に存在していました。2016年のリバプール・ビエンナーレで最初に展示されました。そこには16本の高強度の緑色のレーザーがあり、私が以前使ったことのある双曲線放物線の幾何学です。非常に安定した構造です。光と空間の語彙を押し進めることに興味があり、それをレーザーの世界に持ち込もうと考えました。現在は、ハンマー美術館のコレクションにあり、全く異なる形態のインスタレーションがされています。Dia Chelseaで展示されていたときは非常に暗い部屋の中にありましたが、今回は密閉されていません。概念的には、レーザーを使って無限の線を作るというアイデアがとても気に入っています。そして、Diaのアーティストたちは、私が成長する過程で最も大きな影響を与えた人物たちであり、今でも私にインスピレーションを与え続けています。彼らの作品は、物として限定されるようなアートマーケットの世界を超えて、今でも大きな存在であり続けています。
私は、1993年に始め、現在も進化し続けているプロジェクト『do it』に基づいたインストラクション・アートというアイデアに特に興味を持っています。オープンスコアの概念や、どこまで誰かがそれを間違って行うことができるかという点に興味があります。これらの指示のコピーレフトには、70年代のエンツォ・マリ(Enzo Mari)の『Autoprogettazione』とデザインの世界での類似したものがあります。彼はそれを知識の伝達の一種として考えたかったのです。
私は、自分の作品を全く所有しないことに特に興味があります。それは非常に制約があると感じるからです。デザインの世界が好きなのは、著作権に縛られていないからです。アーティストが神からインスピレーションを受けてソロの天才として活動するという考え方は、完全に制限的だと感じます。私たちは周囲からインスピレーションを受けて作品を作っているので、空虚な場所で創作しているわけではありません。建築やデザインという、もっと協力的な分野から学ぶことに非常に満足しています。私はこれらの基本的な要素を、指示ではなく、むしろガイダンスシステムのようなパラメーターとして興味を持っています。
土曜日、Dia Beaconを訪れましたが、『Arena』にはかなりの人々が集まっていました。閉館の瞬間までそこにいました。あなたはこの作品を、公共の空間や制度的な空間、アートと観客がどのように相互作用するかの継続的な調査として説明しました。私がいたときは生き生きとしていましたが、みんなが去った後、突然それは彫刻のように感じられました。
私は何度も『Arena』を特定の場所に持って行くように招待されましたが、「いや、あなたたちはただのおしゃれな座り場所が欲しいだけだ」と答えました。2019年にバウハウス・ミュージアム・デッサウのオープニングでとても面白い経験をしました。その時、『Arena』は1階に配置されており、ワイエシュタールと何人かのバウハウスの学生もプログラムを行っていましたが、ミュージアムを開館するために来たアンゲラ・メルケルが目玉でした。彼らは前にたくさんの椅子を並べ、メルケル首相は『Arena』の前に座っていました。そこで初めて、『Arena』がバックドロップとして見えました。私には『Arena』は彫刻には見えないので、「彫刻」と呼ばれることがアレルギー症状を引き起こすような感覚です。デザインや建築に近いものだと思っていて、「構造物」とは言えます。なんとなく、彫刻は違うものであり、『Arena』とは異なる見方を求めます。
おそらく、若いアーティストたちが私たちのインタビューを読むかもしれません。ライナー・マリア・リルケ(Rainer Maria Rilke)は『Letters to a Young Poet』という小さな本を書きました。今日の若いアーティストに対して、あなたのアドバイスは何でしょうか?
それについていくつか書いたことがありますが、最近では「アート作品に命を吹き込むためのヒント」と呼んでいます。機能的なオブジェクトのようにそれを変装させ、決して売らず、その命を最初から作品の中に組み込んでください。だから、それがどのように旅をするか、周りに何があるか、どこに置きたいかを考えてください。アートオブジェクトの移動する命について意識し、その意味と世界での位置に対して、いくらかコントロールを持てるようにしてください。
インタビューでこの質問を繰り返し聞くのですが、実現されなかったプロジェクトについてです。いくつかはあまりにも大きすぎてできないもの、他はユートピア的すぎるものです。公共アートをたくさん手掛けてきたあなたには、実現されなかったコンペへの応募作があったのではないですか?
このテーマはとても好きです。長い間、公共プロジェクトを勝ち取りたくないと思っていたからです。理論的に追求する価値があり、公共アートの言説に入れるために面白かっただけで、実現することへのフォーカスはそれほど強くありませんでした。私は公共アートを大いに信じており、その可能性が小さいことにいつも悲しんでいました。だからこそ、2002年にミュンヘンで52メートル高のカーボンファイバーの構造物『Mae West』の委託を受けたときは驚きました。それを実現するのに約10年と多くの忍耐が必要でした。今、私の大きな夢は、火星へのエレベーターのための赤道に駅を作ることです。それは他の場所にどうやって行くかを想像するようなもので、その場所がどのようなものになるかを想像することです。私はそれを実現するために土地を探しているのですが、また夢見ていて、いくつかの良い図面を描き、面白いアイデアを持っています。
『Mae West』はあなたの最大のプロジェクトです。その特異な達成体験について説明できますか?
長い間、公共の彫刻がいつも同じサイズである理由に興味を持っていました。このプロジェクトは環状道路の一部で、大きな予算が用意されてました。そのため、「それなら、通常より背が高いものを作っても良いですか?」と思いました。カーボンファイバーを用いて実験し、ほとんどの彫刻とは全く違うものを作りたかったのです。通常、彫刻では内部構造を作り、それが重力に対抗して作品を支え、その上に表面を作りますが、この彫刻の場合、外骨格が構造であり、構造自体が表面でもあります。塔があまりにも抽象的で建築的すぎたため、混乱させるためにデコイを入れたかったので、『Mae West』と名付けました。フランク・ゲーリー(Frank Gehry)が彼の建物に『Fred and Ginger』という名前を付けたことに影響を受けてますね。この名前のおかげで、作品にまつわる会話が別の領域に持っていかれ、その結果、仕事が進みやすくなりました。最初は近隣住民や市から大きな反対がありましたが、今ではミュンヘンのスカイラインでお気に入りの場所だと聞いています。自分の居場所を見つけたのかもしれません。
Interview by Hans Ulrich Obrist. Orignally published in PIN–UP
翻訳:谷本司